好きなBPMは128。

なんか青いやつの、戯言。

本質から、逃げない。

大学入ったときは、お互い何者でもなかった。

 

ただ、最初から目標は一貫していた。

 

 

その目標に対して、常に行動し続けていた。

余裕なんてなかった。

 

たまに会っていたけれど、どんな時も常になにかに追われていた。

会う度、ってのは言い過ぎだけど、どんどん活躍のステージは変わっていた。

 

周りから求められているレベルも、量も、見た感じではあるけれど、すごかった。

 

たびたび色んなお話聞いたり相談乗ったりしたけれど。

 

気づいたら、でもないね、着実に、どんどん、有名になっていって。

 

なんだかんだで今に至るわけだ。

見えるところで言えば、なんだかんだで、その人に100万以上、消えていったわけだ。

数秒で10万が消えていく姿を見ると、ただ驚くことしか出来なかった。

 

その人に使っていいと、判断した人がそれだけいたわけだ。

すごいことだと思う。

これだけそれが見える化するのはちょっと怖いけれど。

それが現実。

 

 

もう、あの頃のままではないのだ。

大学入ったときは何者でもなかったけれど。

こちらはまだ何者でもないけれど。

同じ時間を過ごしていたはずだけれど。

 

もう、何者でもないなんて段階は、当に過ぎていた。

 

 

 

 

なんか、自分の中で思ったこと。

言葉にできるかはわからないけれど、自信はないけれど。

 

目標、やりたいことの本質を間違えてはいけないな、と。

 

物事って付加価値で判断しがちではないですか?

 

なにかになりたいとき。

なにかをしたいとき。

 

本質がそこにあるわけで、なりたい、したいことが本質なら、いいと思うのだが。

 

本質じゃない、付加価値で判断しがちではないですか。

 

忙しくなりたい、かっこよさそう、とか。

お金たくさんもらえそうとか。

 

なんか、うまく言葉に出来ないけれど。

 

ここまでに至ったのは、別にここを目指したからではない。

いま現時点もただの通過点。

 

ここまでの一連の流れ、それを目指して行動してきたわけではないだろう。

 

本質のためにがむしゃらに、行動してきたら、

結果こうなったわけだ。

 

なんか、本当にやりたいこととかから目を背けて、付加価値に目を向けてみて、

そこでなにかを判断した気になって、それで済ましてる気がする。

しかも、付加価値で判断したことって、結局付加価値でしかないから、

なんだか微妙。

うまくいかない気配。

 

なんか、もやもやしている。

 

将来のしごととかやりたいこととかきめるときとかなのかな、

本質から逃げてはいけないのかなと。

本質を目指し、その途中で、様々なことが起きるわけで、

その様々なことを目指すためになにかを目指すのはよくわからんなーと。

 

本質ただそれだけを目指し、必死に生きて、

その結果、色々なことが起きるのだ。

色んな人が語るいろんなことも、それを目指していたのではないのだ。

結果それが起きたのだ。

 

本質から、逃げるな。

 

 

全く言いたいことが伝わらないブログでしたね。

自分もわかりません。

みなさん一緒に考えましょう。

 

 

 

 

最後に。

 

 

ずっと応援してきたけれど。

何者でもないし必死に応援することしかできなかったけれど。

それはそれで、いい点ではあるのかもしれないけれど。

応援してばっかいないで、お前も頑張れよってことなんですよね。

 

 

以上、そこそこ近くからここ2ヶ月くらい?もっと?応援してきての感想。

 

 

こっちだって、がんばる、からな。

没頭しなければいけない、なんてことは頭ではわかっている。

没頭しなければいけない。

物事のある程度の上達には、没頭が必要だ。

 

そこには、純粋な気持ちしかない。

ただ、それをやりたい。

ただそれだけ。

それをやる理由とか、これをやったらどうなるとか、

成功した姿のイメージとか関係ない。

 

ただ、やりたいからやる。

没頭しているときはそうなっている。

 

今までなにに没頭してきただろう。

 

一番思うのは、高校生時代、バスケ部。

バスケットボールにおける、シュート。

高校時代、基本的に朝練は自主練で、強制される朝練はほとんどなかった。

 

朝練に来る人はそんなにいなかった。

朝練に来ないで朝から勉強している人もいたし、別になにが良いわけではない。

 

その朝練、基本的にみんなすることはシューティングだ。

1人でシュートの練習を普段はそこまですることはできない。

 

なんでかはよくわからないが、シュートは大好きだった。

 

朝練、自分らの代になってからは特に、よくもまあほとんど休まず平日5日間行き続けたなと思う。

でも、別に、ただ行きたかったから、行っていたのだ。

 

シュートが打ちたかったから。

 

本当に、バスケの、特に外からのシュートが好きだった。

(結局スリーの練習はあんまりしなかったからミドルシュートばっか上達したのだけれども。)

 

あのときは、ただシュートを打ちたくて、ただそれだけで毎日朝練に行っていた。

 

シュートを上手くなりたくて。

試合に出たいというより、シュートを上手くなりたくて。(笑)

 

シュート好きすぎて、本買ってシュートについて勉強したりもしていた。

シュートの極意みたいな、コービー・ブライアントが表紙の本。

 

あと、なんだかよくわからないDVDを買ってみたりもした。

(ここだけの話、すぐなら返品できたので返品したけど)

なんだっけなあ、古武術をバスケに応用する、みたいな。

 

なんだかよくわからないけど勉強して、それも身につけようとしていた。

 

 

これ、全部、シュート好きすぎて勝手にやったことだ。

 

これが、没頭なのだろうな、と思う。

 

 

没頭したい。

 

没頭しなければいけないことがあるのは、わかっている。

 

 

 

 

あああ〜〜〜没頭したい〜〜〜〜〜

 

雑念が多すぎるよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

たまに、ITなんてなければよかったのにって、思いませんか。

ITってなんなのでしょうか。

Infomation Technology。

インターネットなどの通信とコンピュータとを駆使する情報技術。

 

 

たまにITなんてなければよかったのにって思いませんか。

 

 

小学校のときからパソコンいじって遊んでいた。

小4くらいからブラウザ上で動く野球ゲームやRPGみたいなものにはまり、

勝手にパソコンをいじりまくってどんどんローマ字の打ち方を覚えていって。

小6あたりから友達とオンラインゲームをするようになり。

中学時代も引き続きオンラインゲームをしたり、Skypeで友達と話していたり。

この頃の将来の夢は「デスクワーク」

とりあえずパソコンをいじれる仕事に就きたかったようです。

高校入ってからは、あんまりその余裕もなくてパソコンそこまでいじってなかったかも。でも、iPod touchを手に入れ、ずっとそれで遊んでいた、かな。

そして、大学を選ばなければいけない段階になり、

当然のように、志望は「情報系」の学部。

理系の学部の情報工学とか、情報科学とか。

結局”情報”って名前はついてるけど情報系の学部ってわけじゃない、しかも理系じゃない環境情報学部に行ったけど。

そして、MacBook Proを買い、それ以降毎日パソコンをいじっている。

大学入ってから、Twitterfacebook、LINEを特に使うようになった。

LINEを使った連絡は頻繁に来るし、

facebookには意識高めな感じの話がどんどん投稿されるし。

Twitterは情報の流れがあまりに早すぎてよくわからないし。

でもなんか、見たいものは全部見ておかないと不安だから全部見ておいたり。

大量にあるWebメディアの記事。

いいなって思ってPocketやevernoteGoogle Keepに記事を保存しておくけど、結局みないままだったり。

 

 

大学入って、ITを使ってなんかしたいなって思っていたけど。

 

ITのおかげで幸せなのかは、すごく疑問。

 

ITによって、時間を消費している感がすごい。

 

Webメディアだから、そのとき流し読みしても、まあまた後で見れるしなって思って、もはやそのタイトルも、なんのメディアかもあやふや。

今は見たいページを保存しておけるから、とりあえず気になったから保存しておいて後で読めばいいやって保存して、二度と見ない。

 

ネットに流れる大量の情報。

 

どんどん情報を眺めていって、自分に身に着けてられたと思っているけど、そのページを閉じた瞬間に捨てている。

 

インターネット以前の今までの時代で1回見られたということ価値と、

インターネット以後の1回見られたということの価値、

恐らく100分の1くらいなんじゃないかな。

 

恐らく、こんな時代に生きているのだから、

こんな時代で強いのは、そのITを消費せず、ITで生産していく人。

 

っていうと簡単過ぎるね、生産しろよお前もって話。

そんなにうまくいってないんですよ、察しておくれ。

 

というよりも、ITに消費されない人なのでは。

消費しているというより、消費されている。

能動的に消費しているのではなく、受動的に消費されている人が大半だ。

最近なら誰もが経験あるはず。

スマホTwitterを見ていて、閉じて、次の瞬間Twitterを開き、はっとする、また開いてしまったと。

 

 

結局なにがしたいんだろうね、ITって。

 

ITはもっと、幸せを作れる

 

ってCMを昔見てそれがずっと好きだけど。なかなか難しいね。

 

本当に幸せ、作れるのかな。

 

 

まあでも、そういう時代に生きているのだから。

 

これはこれで楽しんでると言えば楽しんでる。

 

気軽に自分の作ったものを発信していけるのはITのおかげ。

 

知っている世界が”絶対的に”広くなったのはITのおかげ。

 

 

ITに悲観しているけれど。

ITは本来、楽しいものだ。

 

 

 

最近、Web上の記事は読んでいるのが楽しくて、気づいたら読んでいるだけでかなりの時間が過ぎている。

ITに消費されている感じしかしない。

そしてちょっと自己嫌悪に陥って、夜中までぼーっとする。

 

なんとも生きづらい世の中だね。

 

 

少しでも自分と向き合って生きていければ、まあ、きっとどうにかなるかなー。(笑)

 

 

なんにも知らなかった、高校生までの俺と、

中途半端に色々なことを知っている(ような気になっている)俺、

果たして、どちらが幸せなのか。

 

微妙に色々な可能性を知っている(ような気になっている)と、

なんか、絶望感しかない、よね。

 

 

それでもなお。

 

 

ITはもっと、幸せを作れる。

 

 

アップセットを起こす。

 

 

 

 

ちょっとなんか書かずにはいられなくなったから、思いつくまま書いてみた。

わけわかんなくなったけど、こういうブログの書き方あまりしないから、これはこれでありかな、ということで。駄文にお付き合いくださりありがとうございました。

いつしか、なんとなく、群れていく。

あの、最初に言いますが、ほぼ自戒です。

 

 

大学って、まあいいんですけど、授業とかで同じサークルの人たちと受けてるじゃないですか、みんな。

いや、俺も同じ授業受けてる人いたらたまにそういうことしますけど。

だから他人のことは全くいえないんですけど。

 

 

つまらなくないですか?

 

 

いや、居心地は良いのかもしれません。

でも、その居心地って、なんですか?

 

周りがみんな知り合いと授業を受けているから、

仲間はずれというか、他人と違う気がして嫌だから、

とりあえず知り合いと一緒に授業を受けることにより、

周りのことを気にする必要がなくなって、結果居心地がいいのでは?

 

少なくとも僕はそう思います。

 

大学入りたての頃って、まわり全員知らない人じゃないですか。

だから、だれも周りに壁を作ってなかったんですよ。

いや、個人的に誰とも話したくなくて壁を作ってる人はいるかもしれないですが。

それはあくまで弱い壁かな、と。

崩せる余地のある壁かな、と。

 

いま、サークルのメンバーとかと一緒に授業受けてる場合、

それを周りから見たら、周りを強固な壁で覆われてると思うんですよね。

 

それはもう、崩せない壁です。

 

なんか、コミュニティとして固まって、周りから崩せなくて

それ以上なにも起きないじゃないですか。

 

つまらないなーって。

 

 

まあ僕個人の勝手な思いなんですけどね。

 

完全に僕の話ですけど、

別に知らない人と話すのは苦手じゃないんですよね。

だから、大学入りたての頃とかは、

みんな知り合い作りたがってるし、誰にでも話しかけていいというか、

そんな空気があったと思うのですが。

その時は誰にでも話しかけられて好きだった。授業の時とか特に。

 

でも、次第に自分の所属するコミュニティを決めて、

コミュニティ外の人を自分から排除していくような気がして。

 

微妙な知り合いとか、その時一緒にならないと、今後話せなくなっていくじゃないですか。

 

この状況がいちばん苦手なんですよ。

いや、それはみんな苦手かもしれないですけどね。

よく言われるよっ友(「よっ」って通りすがり声かけるだけの関係)ってありますが、

それ未満の関係。

 

僕はよく人のことを覚えていられるので、相手の名前とかも覚えてるんです。

けど、相手が自分のことを完璧に忘れていることもある、ということを目の当たりにしたことがあって以降、基本相手のことを忘れたふりをするのです。

けっこうな衝撃でしたよ、相手の名前も出身高校もわかりますよ、その関連の話してけっこう盛り上がったのに。覚えておいてくれよおい。(笑)

 

この時感じました。

つまり、僕はこの人にとって完全に必要ないと思われたのだな、と。

思われたというか、相手の心ではなく脳がそう判断したというか。

 

 

これって大学だけじゃないんですけどね。

大学の場合ちょっとその傾向が強くて壁も強固かなって思いますが。

色々手伝ったイベントとか、様々なところで、この風景を見てきました。

 

まあだから、大学が悪いわけじゃないですよね。

人間とはおそらくそういうものなんです。

 

これを嘆いてる時点で、ただ俺が人間生活に不適合じゃんってなるんですよね。(笑)

 

なんかでも、誰とでも話せるような空気にまたなるといいなー、って。

常に一緒の人と群れてるんじゃなくて、

どんどん新しい関係が増えて、

どんどん自分の中で新しいなにかが芽生えていけるといいのになーって。

なんかそれのが豊かだなーって。

 

まあ、好きな人たちと一緒にいるのは楽しいんですけどね。

 

本当の居心地の良さってなんなのかなーと。ふと思いました。

 

同じコミュニティの人たちととりあえず群れておくのが、居心地いいんですかね?

一人でも気にならない、近くにいる人と話したければ話せる、

そっちのが僕は居心地いいなあ。

 

 

と、ただの、個人的な願いでした。

 

 

 

 

 

 

 

自分の幸福感を追い求めて。

自分の幸福感は、どうやって満たされるのでしょうか。

 

いまの自分は、自分で自分を満たすことは、あまりできていないように感じます。

 

なんか用事があって、人と会うことがあれば満たされるけれども。

 

まあぶっちゃけ用事がないことのほうが多いですし。

そうなって1人の時の、自分の満たし方が、圧倒的に下手。

 

おそらく、大事になってくるのは、習慣なのだろうな、と。

1人になってから突然なにするか考えてるんじゃ、なにもできません。

おそらく、自分なりのルーティーンを作らなければいけません。

 

浪人時代もそういえば

8時20分に家を出て自転車で予備校に行って、授業を受けて、4時半くらいに4限が終わって、

友達とファミマに行って、食物と飲み物買って(結局草大福に落ち着いた)

食べながら戻って、5時くらいになって、そこから勉強開始して、9時25分に警備員が帰れって教室のドアを開けてくるまで開放教室で勉強する、ってのが平日のルーティーン。

その時間になって、ゴミとか片付けて、あー今日もがんばったーって満たされて、帰ってました。

 

まあこれは半分”予備校”という強制によって作られた習慣。

 

これを自分で、自分なりに作らねばいけません。

 

なにに幸福感を感じるのでしょうか。

 

やはり、”生産”というキーワードは忘れてはいけないのだろうなと思います。

 

楽しいものを消費するのも、そのときはいいのですが、1日を終えて振り返った時、それだけではだめなんだろうな、と。

 

スマホアプリを毎日とりあえずやる感じ。

なんか、やりたい!って気持ちでやるならいいと思うのですが、とりあえずなにしていいかわかんないしやるかーって気持ちでやるのなら、あんまりやるべきじゃないんだろうな、と。自戒ですけどね、これは。(笑)

 

ここ3日間くらい、課題溜まってるのに本当にほぼなにもせず過ごしました。

これからは、1日、1つは生産できるようにしていきたいですね。

その中でおそらく1番簡単なのは”ブログ”なのだろうと思います。

 

あと、自分が1日パソコンいじってなにをしていたのかを、時間に記録すべきなのだろうなと。

浪人時代、毎日なんの教科を何時から何時まで勉強した、というのを記録していました。

単純にデータ化するのは楽しいですし、何時間取り組んだ!って自分の幸福感にもつながるかなあと思ってます。

 

 

そんなこんなで、日々、毎日を浪費せず充実させていくための方法を、探求していこうと思います。

 

 

拝啓、成人式を迎える同期たちへ。

大学の同学年の人たちの現役で大学にはいった方々が、成人式を迎えますね。

成人式今日の人のが多いのかな。

なんだかんだ雨降ってないっぽいですしよかったですね。

 

 

大学入って以降仲良くしてもらってるSFCの人や、他大学の人。

そういえば年齢でいえば1つ下の人、けっこう多いです。

 

なんだか、不思議な感覚。

普段仲良くしている人たちって、実は年齢違うのですね。

同い年は基本的にみんな3年生で、中学時代の友達とか会うと就活どうしようって言ってます。

同期の2年生の友達は成人式。

ちょっとした次元の狭間にいるような感覚がします。

 

まあこんなこと考えるのも、今日くらいなんでしょうけどね。

 

自分が成人式だったのも、同窓会やったのも、クラスで二次会やったのも、全部去年の話なんだなーと。

もう2度と、会うこともない人もわりといるのではないでしょうか。

 

今日という日は人生で1度しかない、大切な日です。

 

もちろんそうでない人もたくさんいるでしょうが。

 

笑って、成人式に向かい、同窓会にもでて、楽しめるというのは、

とても、とても、とても幸せなことです。

ただそれだけでも普通なことではないでしょう。

 

成人式や同窓会があって、そこで色々再会できたからこそ、

 

大学行くなんてそもそも当たり前じゃないですし、

同い年でもすでに結婚して子供いるとか社会人として立派に働いてるとか、

ごくごく普通にいます。

 

という事実を自分の目で確かめられました。

 

本当に、幸せに成人式を迎えられて、よかったです。

 

なんか上から偉そうで申し訳ないのですが、

 

昨日、今日成人式のみなさま、成人おめでとうございます。

 

今日という日を楽しめる環境にある方々は、ぜひ、思う存分、楽しんでください。

後悔のないように。

 

もう、会えないかも、しれませんよ。

 

人生で、たった1度しかない日です。

 

 

 

【今年の反省①】 お金の余裕は心の余裕。

お金がありません。

 

 

まあそれはおいといて、ほんと、お金の余裕は心の余裕ですよね。

 

今年の反省の1つは、ぐだぐだして結局なんもしないならバイトでもしてお金稼ぐべきでしたねってことですね。

 

お金の余裕が無いと、なにかを判断する時、お金という要素が主な判断基準になりますよね、とてもよくないことです。

たぶんなにかを決めるときって他の要素があってそれを気にするべきなはずなのに。

なんか行きたい!って思ってもでもお金がない、みたいな。

 

まあでも大学生なんてみんなそんなもんなのかな。

 

いやまあ、けっこうお金かかること、旅行とか、そういうのはお金を判断基準にしても良い気がするんですけど、

誰かとのご飯とか。

なんかのイベント参加するとか。

今日ウインターカップ見たけど、やっぱこういう、「あ、行きたい」ってふと思うやつなるたけ参加したいですよね、少なくとも金銭面で躊躇したくない。

ものすごいお金かかるものではないわけで、経験上、そういうのは行きたい!と思ったら一歩踏み出して家をでて行くべきなんだろうな、と。

 

もし行かなかったら普通の日常をただ過ごすだけで終わるだけ。

普通の日常をただただ過ごして終えていくなんて嫌じゃないですか。

なんか行きたい!っと思ったらそこに行くという行動を起こせば、もう、そこは非日常なわけで、その日終わったときは充実してたなと感じるはずです。

 

お金ってやっぱ大事なんですよ。

 

お金がないと、

フローの幸せ(だと思っているけど違うなにか、この場合はお金が減らないことかな、別に幸せじゃないっていう)

にとびついて、

ストックの幸せ(その日充実してたかしてなかったかも明日につながると思うし、行動したんだからなにも起きないなんてことはないと思う)

を失うことになる。

 

お金をある程度持って、心を豊かにした上で、なにかやることとか判断できるようにしたい。

 

なにが言いたいか自分でも微妙にわからないけれど、これが今年の反省の1つ。

お金の余裕は心の余裕。

 

ぐだぐだいう前にお金稼ぎましょう。

 

 

という、ただの戯言。(笑)